阿久さんの記録の一覧

作詞家・阿久悠さんは演歌から歌謡曲、アニメソングまで5000曲以上を手がけた。代表曲は、「また逢う日まで」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「どうにもとまらない」「恋のダイヤル6700」「北の宿から」「津軽海峡・冬景色」「舟唄」など。

1977年紅白に9曲

<阿久悠の記録の一覧>
同時にランクインしたシングル数 1977年12月5日付で 16曲(100位以内)。
この週の1位はピンク・レディー「ウォンテッド」(オリコン調べ)
作詞シングル総売り上げ 6818万枚
ランクインシングル総数 511作
シングル1位 22作
最初の1位 1970年3月9日付で森山加代子「白い蝶のサンバ」
(1970年1月25日発売)
最後の1位 1984年6月4日付で田原俊彦「騎士道」
(1984年5月23日発売)
最初のランクインシングル 1968年1月4日付でザ・モップス「朝まで待てない」
(1967年11月5日発売)
最後のランクインシングル 2007年2月12日付で153位に五木ひろし「献身」
(2006年12月6日発売)、
199位にあさみちゆき「青春のたまり場」
(2006年9月27日発売)

阿久悠さんとピンク・レディー

ピンク・レディーのミーとケイは、静岡市の同じ中学、高校に通った。卒業間際、オーディション番組「スター誕生」に合格した。1976年8月25日、「ペッパー警部」でデビューした。

ビクター(現JVC)のディレクターだった飯田久彦テイチクエンタテインメント会長は「会社には別の新人をと言われていて、怒られました。でも、私は歌って踊れるデュエットを作ってみたいと思っていて。ザ・ピーナッツさんが大好きでね」と振り返っている。

JVCが「面白いものを」と依頼

しかし年末の新人賞を狙うには8月デビューは遅い。ビクターは作詞家の阿久悠さんに、「とにかく面白いものを」と依頼したという。

会社が用意したグループ名は当初フォーク調の「白い風船」だった。しかし作曲家の都倉俊一さんが提案した「ピンク・レディー」に変更した。振り付け担当の土居甫(はじめ)さんも常識を壊す、見たことも聞いたこともないような踊りをぶつけようと考えたという。

ミニスカートの振り付け

衣装も当時はやっていたロングスカートではなく、極端なミニスカート。警察官が犯人を追いかけるイメージの、足を開くあの大胆な振り付けを初めて見たビクターの上層部は絶句したらしい。

しかし、インパクトは大きかった。純朴そうな女の子が2人、「下品だ」と言われつつ話題を呼び始める。中でもまず子供たちの興味をひいた。

SOSがヒット

「ペッパー警部」はオリコン初登場90位台だった。11月に2曲目の「SOS」が発売されると「ペッパー警部」も再浮上し、トップ10に2曲がランクインした。

9曲連続オリコン1位

阿久さんは「僕の頭の中にあるおもちゃ箱から何を取り出すか、でした。透明人間、宇宙人、野球のスーパースター……。子供というよりも、人間の中の子供心をつかんだのかもしれません」と振り返った。

「SOS」以来9曲連続オリコン1位。ほとんどがミリオンセラー。2005年6月末に発売された阿久さんの全集「人間万葉歌」にも最多の10曲が収められた。

動画

阿久悠さんのテレビ出演(自身の作品の中で一番好きな曲)。



日本レコード大賞とは

1959年に始まった音楽賞。第1回大賞受賞曲は水原弘の「黒い花びら」。審査員の投票により決定される。大賞は売り上げ1位の曲にならないことも多い。

出典:https://www.uta-suki.com/